鞍馬山

鞍馬山へ、友人4人で参拝したのは、2010年の夏でした。鞍馬山は初めてで、計画は友達任せ、私はのんきに下調べもせず出かけました。

快晴で爽やかな風もあり、暑いけど気分も上々です。

参拝を済ませ、見晴台で景色を見ていますと、青い着物姿の人が視界の隅に入りました。その方は、私から見て右側の階段を上ってきたのでした。

別段気にしていなかったのですが、着物姿の方は、私の右横に立ちました。普通、少し間を空けて立つものですが、その方はぴたっと真横に立ったのです。

そして、左手を額にかざし、日差しを避けて眺めています。
左手の袖が横目で見えるのですが、明るい瑠璃色をしています。麻の素材で白下着が美しく透けて涼しげです。袖口が大きく開いているので、どうやらお隣さんは平安時代のような着物のようでした。凜としたピーンと張った空気がします。
私はその方に惹きつけられ、横目でさりげなく観察。
「なんて綺麗な生地だろう。どんな人かな。」と興味津々です。
そして、私も真似をして左手を額にかざし、京都の山並を眺めました。この方がどんな人か、確かめたい気持ちでいっぱいですが、この方が動いたら、その瞬間、さりげなく振り向いてみようと思っていました。
ところが、その方は、なかなかそこから動かないのです。我慢できず、ついに思い切って、私が右を振り向きますと、
「えーーーっ。????。」
隣に、正に今、この瞬間まで、いた人がいないのです。
真昼の正午ごろのことです。友達が私の後ろにいたので、
「ねえ、今ここに着物姿の人いたよね。見なかった?」
「着物の人なんて、ずっとここにいたけど、一人もいないよ。」

慌てて、その人が登ってきた右手の階段を見ますと、苔むして、そこには立ち入り禁止の鎖がはってありました。
「えーっ、」
今確かに私の右横で、肩が触れあう近距離で。。。。。。、
しかも一緒に左手を額にかざし、二人して見た眩しい京都の山並。
着物の袖の色や織り目まで、はっきり目に焼き付いているのに。
その日は、そのまま帰りましたが、後日、夫と出かけることにしました。
境内へと階段を上がりきった、その時です。すっと私の左横を駆け抜ける、青い着物を着た人が一瞬見えました。
「あっ、あの人だ。」
でも、さっと姿を消してしまいました。
「出迎えてくださった。ああ、やっぱりあの時も、わざわざ私に姿を現していただいた。」とわかり、なんだかとても嬉しくなりました。
本殿から少し山を登ると、博物館の白い建物がありました。こんなところに博物館??といぶかりながらも、入ってみることにしました。
義経の資料展示の上の階に上がりました。靴を脱いで上がると、そこには、大きな毘沙門天の木像が5,6体並んでいました。
中央の見事な毘沙門天を見た途端、私は、目が点になってしまいました。
なんと、服装こそ違いますが、左手は額にかざしているのです。あの真夏、真昼に私の横にきてくださった方と同じ格好ではありませんか。
まさか、あの時、
横においでくださった方は毘沙門天様だったのでは。。。。。。。。。。・???
実は、有り難いことに、神社仏閣へ参拝の折、私はご神体とご対面させていただくことが、よくあるのです。もちろん、霊的にです。時にはタイムスリップして、異次元空間へ行くことも。
また、今年も鞍馬山へ紅葉見がてら、毘沙門天様にご挨拶に伺いたいと思います。
次の詩は、鞍馬寺のすばらしく格調高い詩です。

本殿に置かれていますので、どなたでも頂けます。

光に向かって

天を覆う雲は厚くとも、
太陽は常に大空に在る。
風が来て雲を払えば、
黄金の光が燦然と輝く。
人の心に吹きすさぶ八風を、
苦悩の雲を吹き払う風として、
真実を観る智慧の光を迎えよう。
智慧の光が輝くとき、
宇宙生命(尊天)に生かされている万象を観る。
あなたも私も、花も鳥も、
みな共に生かされているこの世界。
万象が織りなすいのちの相(すがた)、
宇宙に懸る金色のいのちの羅網、
遠い昔から受け継いで来たいのちの絆、
私もその中の一つのいのち、
たがいに手をつなぎ響き合ういのち、
あなたも私も、樹も水も、
みな共に厳然と生かされている。
慈愛の温もりに抱かれ、
智慧の光に照らされ、
豊かな活力に満たされて、
今ここに生かされていることの嬉しさと有難さ、
この歓びと感謝の輪を拡げよう。
あなたも私も、あの人もこの人も、
たがいに光り合い照らし合う、
明るい未来を信じ希いながら、
一日々々を宝石のように大切に生きよう。
すべては尊天にまします

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