宇宙創造神 降臨(2)

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

新年を迎え、皆様が健やかで心平安な日々をお過ごしのこと、心よりお慶び申し上げます。

世界中の人々が、この世(宇宙、自身の魂)の真実に目覚め始めています。神の平和と愛の光が、朝日のごとく地上(自身の意識改革による反映)を照らし始めました。

いよいよ全人類の心が満たされ、真に幸せに暮らせる新時代への幕開けが始まります。

 

さて、昨年の続きです。宇宙創造神(2)です。

静寂と白光の中で私は意識のみとなり、宇宙創造神に祈った。

次の瞬間、激しい雷鳴が轟き、落雷のような激しい衝撃が私の身体を襲った。

私はのけぞり、その場から吹っ飛んだ。

雷の轟きは、雷の轟きではなかった。

宇宙創造神の聲だった。

その轟きの聲ひとつに、私の求めたすべての答があった。

雷の言葉は、言葉ではない。神の真理と英知が私の体の中で大爆発したのだ。

バリバリと辺りを切り裂かんばかりの轟音。

はっと我に返ると、もう、意識は体の中に戻っていた。

すると、私の体が激しい愛に包まれた。神の愛がわたしを覆ったのだ。

愛そのものが私を包むという衝撃の現実。神の愛そのものにくるまれて、ただただ赤子のように私は泣いた。涙は止まることなく、体中の水分がすべて流れ出ているかのようだった。

「神は存在した。実在した。神は、こんな名も無き娘である私に応えてくださった。神は、私をこんなに強く愛してくださってる。何という慶び、何という幸せ」

わたしは心の中で叫んで号泣した。

私はこの一瞬において、すべてを理解した。宇宙の法則の一端が私の意識へと、転送されたのだ。

私の本当の父は宇宙創造神だ。わたしはその子であり、死ぬと父である宇宙創造神のもとへ戻るのだ。やっと永い旅を終え帰ることができるのだ。

わたしは神の魂という永遠の命を持ち、永遠に生きてきた。そしてこれからも永遠の生命を生きていく。

肉体は3次元世界に降りるための乗り物であり、本体の私自身は神の魂そのものである。

魂は肉体の胸に宿っている。

そして、宇宙創造神にこんなに激しく愛されている私は、世界一の幸せ者だ。宇宙創造神、私の魂の父に出逢え、愛されていることを知った私は、これでなにがあっても、この人生を生きていける。この世を去ったら、この大いなる愛の根源である父の元に帰れるのだ。これ以上の幸福などこの世にあるだろうか。

 

 

その時の15才の少女である私の、身体からほとばしる歓喜、胸が張り裂けるほどの幸福を、これ以上どう表現できるだろう。

遠い昔のことながら、鮮明に蘇る映像、衝撃の状況。今でも記しながらどうしようもなく涙が流れてしまう。

その夜、私は父に伝えずにはいられなかった。

 

「今日、宇宙神に祈ったら、本当に神様が現れた。」

「私はこの世では、お父さんの子として生まれたけど、本当の魂の父は宇宙創造神であるすごい神様だとわかった。」

「私たちの魂は生き続けて、永遠の命を持っているんだ。体は死んでも、魂は死なないんだ。私たちは皆、神さまの子なんだ。」

「私がいつか死んだら、大いなる愛の存在である父の元へ帰れるんだ。」

父は、あっけにとられていたが、否定したり、馬鹿にしたり、頭が狂ったとも言わず、黙って聞いてくれた。母もまた何も言わなかったのが不思議である。

15才の娘が、夢中でおかしな事をいいはじめたのだ。私は子供の頃から不思議に親に信用されていたので、そのような言葉も否定することなく信じてくれたのだろう。

 

私の親選びは大成功だったと思っています。両親は、私を褒めて育ててくれたのです。叱られたことはそれぞれ1度のみ。心穏やかな両親は、私のどんな失敗もけっして叱ることはありませんでした。そのため、その都度、逆に親の愛情が幼心に染みいったのでした。

 

 

私は今こうして、人生のまとめとして綴っています。この世で誰か一人でいい。私の嘘偽りなき体験を読み、こんなことがあるんだと気づいてくだされば、このブログも意味を持つでしょう。

ありがとうございました。

宇宙創造神 降臨

宇宙神といいましても、私の縁のある神様のことからお話しします。

まず、私の実家の神社の神様のことです。実は、由緒ある平安時代から続いた神社です。

数十年前、祖父、両親達が神社祀りが大変ということで、最寄りの神社内に移設させて頂きました。今は小さめの祠にお祀りしております。

その後、数十年の年月が流れ、我が家にどんなことが起こったかといいますと、、、、。実はこれも、匿名だから言えることですが、長い時代続いた実家が今、まさに絶えそうになっています。

長年続いた家も、神様側から言えば、「神社を祀らない家はご用済み」ということなのでしょうか。

思えばどれだけの長い間、ご先祖は神社を懸命にお祀り運営してきたことでしょうか。想像を絶します。

神さまは、肉眼では拝むことができませんが、高次元で実に生き生きと働いていらっしゃいます。神社は神様の依り代であり、神と人との交流の窓口です。どんな事情があれ、いったんそれを終わらせたのですから、そうなる運命なのでしょうか。

ところが、神社が手放されると、神は依り代を私に定めたようなのでした。というか、それはたぶん私の生前から計画どおりの出来事なのでしょうが。

思えば、神との出会いは、高校1年生の夏休みでした。

私は突然、神さまの存在を確かめたくなったのです。

そこで頭の中で、知りたいことを挙げました。以下は、私にとって重要な人生の疑問でした。神様にしか、教えてもらえない内容です。直接私が、神様にお尋ねすればよいと思い立ったのです。

1、神は実在するのか?

2、本当の私自身とは肉体か?意識か?

3、魂とは、人の頭に存在しているのか?それとも胸か?

4、人は死んだら、意識もすべて消滅するのか?

5、私は一体どこから来たのか。私は誰?

次は、どこの神様に祈ろう。キリスト?お釈迦様?神社の神様?いやいや、一番この世で偉い神様に祈ろう。いったいどなただろう。

 

そこで、外の景色を見ると、蒼い空、輝く太陽、空気、吹き抜ける風、水、そよぐ木々の枝葉、緑したたる山々、蛇行し流れる川、大地には野菜や草花が茂っている。そして、様々な生き物たち。

 

思いを巡らせれば、この地球は、なんと完全調和されていることだろう。生態系は何一つ無駄がなく巡り巡って全てが一つの生命体のようになっている。害虫や蛇さえそれを餌にする生き物がいる。何かが一種類消えても生態系は崩れるのだ。

こんな素晴らしい地球を作り、太陽系、銀河系と無限の広がりを見せ調和している宇宙。

そして、ここに存在して、生かされている奇跡のような現実。

そのことに改めて気づくと、体の奥底から言いようのない感動が沸き上がってきた。

そうだ。私たち人やあらゆる生命を作り、生命を育んでいるこの地球、そして全宇宙を作った宇宙創造神に祈ろう。

そう心に決めると、今日は神が現れるまで祈り続ようと、始めました。

その時ふっと、今このときの自分を見ているもう一人の自分を意識したのです。

そして、この瞬間は、生まれる前から決められていたことに気づきました。この時がくることを、もう一人の私は全て知っていて、今の私の一瞬一瞬の心の動きを観察しているのでした。

「この時をずっと待っていましたよ。」そんな冷静なもう一人の意識に見守られ、更に祈り続けます。

1時間、2時間、、、。その時でした。

突然、私の意識が体から頭上へと抜けました。

今のいままで聞こえていた蝉の喧噪は、かき消え、私は、ただただ静寂に包まれていました。そしてその真っ白い光の中に、意識のみとなって、独り浮かんでいたのでした。

今、何が私に起きている?

その時、ふっと我に返り、今、神の御前にいる現実に気づきました。余りの威光に畏れ、ひれ伏すしか出来ません。頭が上げられないのです。意識のみの自分なのにです。

静寂の白光の中で、勇気を振り絞って祈りますと、、、、。

 

そこで、思いもかけない壮絶な現象が起き、私はその時から、人生観が一変したのでした。

この話は、次回へと続きます。お楽しみに。

ありがとうございました。